かけがえの無い1年間
東京都 「血液循環療法・パッチ・まーくん」院長 山口政広
この学院に居た一年間は、僕にとってかけがえの無い財産になりました。学院での1年間の経験は、個人で10年間治療師をしてても得る事が出来なかったことと思います。千島学説研究会、日本綜合医学会などいろいろな学会にも参加させて戴き、今まで常識だと思っていた事が、実は身体には良くなかったり、常識を覆す事ばかりで、もの凄く勉強になりました。この循環療法は日本だけではなく、世界を救う療法だと思っています。先生のそばに1年間居た僕だから余計にそう思うのかもしれないですが、基礎、応用で終わってる方は、絶対に専門課程まで進むべきです。そして時間があれば先生の下で何日でも修行すれば、循環療法の凄さがきっとわかるはずです。先生の下で、1年間住み込みで働かせてもらって、先生には大変ご迷惑ばかり掛けてしまいましが、お陰様で仲間、信頼、技術、忍耐力、謙虚な気持ち、を会得しました。これからは、循環療法を主体として臨床を重ね先生の期待(期待していなかったらすんません)を裏切らないように頑張るつもりです。
循環療法の良い所は、他の療法の人たちと違い、大杉先生並びに先輩方が謙虚で向上心が強く、先輩後輩関係なく対等に接してくれ、先生の人間性もお弟子さんに継承されるのだなーとつくづく思いました。
僕の生まれは東京の八王子です。創始者の小山先生が修行して「血液循環療法」の啓示を得たのも八王子の高尾山です。何か運命的なものを感じています。ですから循環療法は僕が引き継ぐ位いの気持ちでこの素晴らしい療法を
日本、そして世界に広めていきたいです。
今の世は、せちがらく、気持ちの通じ合えない嘘ばかりの社会です。1つくらい本当の治療法があっても良いのではないのでしょうか。私は若いうちに素晴らしい療法に出会えたことに感謝します。今の僕があるのもまた、こんなに素晴らしい療法に出会えたのも、今まで僕の周りにいた方達のおかげだと思ってます。この場を借りて大杉先生並びに、僕に関わった全ての方にお礼を言わせて頂きます。今まで本当に有り難うございました。そしてこれからも長いお付き合いをよろしくお願いします。
(会報誌「血液と循環」第2号より)
血液循環療法との出会い
群馬県 血液循環療法SARASA院長 保高愛
今から三年半ほど前、私は一患者として血液循環療法の素晴らしさを知りました。もともと体力がなく、当時はいつもどこかの具合が悪く我慢の日々でした。それが初めて宮地先生(自然&健
康ハウス院長)に施療していただいたところ、身体が軽くなり眠りかけていた内蔵機能が目を覚ましてくれたように感じたのです。即効性のあるこの療法に希望を見い出し、施療を重ねるうちに
痛みやだるさから解放されていきました。そして私のように病気ではなくて体調不良を訴える人は血液の循環が悪いこと、この無理のない療法で改善されていく事を知り、次第に周囲の方々に是非同じ喜びを感じて欲しいと思うようになりました。最初、知識も経験もない私が血液循環療法士になれるのか悩みましたが、回復した体力と気力でさらに一歩踏み出せば道が開けてくるのではとの思いで勉強を始める決意をしました。そして宮地先生から沢山アドバイスや助けをいただき学院入学にいたりました。
専門課程に進んで
学院では、励ましあえる友人と共に集中的に勉強させていただきました。医学知識のない私に大杉先生は辛抱強く教え、手技も指導してくださいました。シコリにあたらなければいくら押圧しても効果がないこと、シコリをとらえてやさしくジワーと圧をかけるなど基本的なことですが難しい事でした。先生の後頚部を練習させていただいた時、指の力で押しすぎて先生の首の皮膚がすれしまいお風呂に入ったらヒリヒリしたとおっしゃったことがありました。まさに身を削って指導してくださったわけです。施療も見学させていただき先生と患者さんの信頼関係、必ずシコリをといて楽にしてあげたいとの強い思いと真剣さ、とても深く入る腹部治療、シコリにピタッとあたる先生の指にとても感動しました。先生の日々向上を目指し築かれてきた技とお人柄・・・私は足元にも及びませんが血液循環療法士として人々のお役に立てたらとの思いで専門課程を終えました。
開業そして今の思い
療法士として認定をいただいたもののまだまだ未熟で自信のなさが壁となりましたが、思い切って開業して一年が経ちました。自分の技術や療術院経営というものにまだ不安がありますが、今も
お世話になっている宮地先生やセミナーに助けられています。シコリが見つからず焦ったり、硬いシコリに圧倒される事がありますが学んだポイントを思い出しソフトな押圧を心がけたいと思っ
ています。患者さんの痛みや状況を思いやり自分にして欲しいように人にもする事も常に忘れないようにしたいと思います。私の進歩はゆっくりですが、患者さんの「とても楽になった。重い荷
物をおろしたように軽くなった。」との感想を聞ける時自分と同じ経験をしていただけたことに喜びを感じることが出来ています。施療のたびに自分を振り返り真剣に勉強して、少しづつでも様
々な症状に対応できる技術と経験をつんでいけたらと願っています。血液循環療法の効果を知っていただくためには大杉先生の技術により近づかなければなりませんので、一歩一歩進歩できるよ
う努力したいと思っています。そして、これからも大杉先生や経験のある先生方から貴重なアドバイスをいただけたら嬉しく思います。 (会報誌「血液と循環」第4号より)
「初心忘れるべからず!」
兵庫県 血液循環療法・UETA院長 上田 守
私は、平成十五年四月に二十八年間勤めた、ある小さな会社を退職しました。それはある疑問をもっての退職でありました。現役時代は世間で言う責任ある立場の役職についておりましたが、いつも憂鬱な気分で、何かに追われている様な気持ちで仕事をしておりました。毎日、毎日、これでいいのか?…数字に追われ、利益追求に追われ、経費節減に追われる毎日でありました。何か、人を傷つける事なく、人の為になる事はないだろうかと常に思っておりました。そして四月十五日、株主総会で代表取締役に推薦されたのです。そこで私は二昼夜真剣に考えました。そ
して、辞めるなら今だ、今しかないと思い、一大決心をして二十八年間勤めた会社を辞めました。周りの友達に「こんな時代に贅沢だ。」「小心者。」と言われました。色々後ろ指も指されました。でも私は後悔しておりません。そういう状況の中で唯一の救いは「お父さんの好きにしたら」と妻が反対しなかった事でした。それから1ヵ月ぐらい後、所用で大阪に出向いた時に先輩から紹介してもらったのが「血液循環療法」でした。「世間で色々療法はあるが、この療法は患者に優しいすごくシンプルで、素人でもよく理解出来る療法だよ。」と教えてくれました。それから半月ぐらい後、7月23日入学の運びとなった訳です。
私はもともと淡路島の小規模な百姓ですので、土曜日・日曜日は稲作をする為に実家に帰らせてもらいながら1年間豊中の血液循環専門学院に通いました。今までになかった非常に充実した1年でありました。私の50年余りの人生の中で全く経験した事のなかった未知の世界でもありました。非常に造詣の深い諸先輩方に恵まれ、優しくもあり、厳しかった同僚とも知り合えました。又、日本綜合医学会に同行させてもらって、「食養」と言う事についても初めて深く考える様になりました。これも今までになかった事でした。
1年間大杉先生にご指導いただいて、印象に残っている言葉は「痛い所にシコリがある。」「シコリのある所は痛い。」「パッと放す為にジワーと入れる。」でした。私は只今それを実践中であります。又、最近は、動脈血の流れも大事ですが、筋肉の痛みや疲労を取るためには静脈血の流れをよくすることも非常に重要だと言うことがやっと分かるようになりました…精進努力の日々が続いています。
血液循環療法は、明治43年小山善太郎氏の創見によるとされています。小山先生の姿勢は、慢心する事無く、傲慢にならず謙虚に癒すと言うような事だと思うのです。小山先生、村上先生、大杉先生、と受け継がれてきたこの精神を憚りながら私も実践していきたいと思っております。
「人格が癒す」をモットーに。
(会報誌「血液と循環」第3号より)